古民家の再生ー小浜の家

福井県の若狭地方、小浜市の里山集落に建つ、築約100年の古民家再生事例です。 主屋は構造体と和室の一部、屋根を残して解体した後に全面改修、車庫の2階に鉄骨造で増築されていた部分を解体、蔵と車庫、水屋の外壁改修という内容の工事を行いました。 ★いちばん下のスライドショーで、工事中の様子が見られます。


167坪の広い敷地には、瓦葺き厨子二階建ての主屋、同二階建ての蔵、水屋と車庫があります。
敷地内の建物はそれぞれに大変老朽化していて、鉄骨造でのリフォームや増築、改修が何度か繰り返され、雨漏りや床下構造材の腐食などが進んでいる状態でした。
主屋にはこの時代特有の大変立派な構造材が用いられていて、地域の風土に映える若狭瓦葺きの雄大な古民家であったため、機能性や構造強度を向上させた上で美しく蘇らせるという方針で改修を行いました。
主屋の再生設計にあたり、耐震補強や腐食材の更新はもちろん、暗い、寒い、使いにくいという、古民家の欠点を解消するため、さまざまな工夫を盛り込みました。
メインの居間の天井と小屋裏を取り除き、天井の高い大きな部屋として、天井近辺の外壁に採光のための高窓を多く設けました。
また、もともと囲炉裏の煙を屋根から排気するために設けられていた、越屋根状の通気口を利用して、風のない日でも簡単に自然通風ができるようにしています。
冬場の寒さには、ヒートポンプ式温水配管によりべた基礎を蓄熱槽に利用する低温式床暖房を採用しました。
何度かの増築を重ねて使い勝手の悪かった間取りですが、老朽化部分を解体撤去して、中庭を設けることで奥の部屋にも中庭から光を入れ、玄関からの室内動線や車庫から勝手口への外部動線を整理して、日常生活が機能的かつ快適に送れるような家になるよう、工夫しました。
設計開始と同時に、ご先祖様が植えて下さった裏山の桧を伐採し、自然乾燥させた上で、製材し、屋根のタルキや構造材の足固めなどに利用しました。床や壁には地元産の桧フローリングと杉の羽目板を使用しています。また、お客様の親戚が地元で作られた若狭和紙を分けていただき、障子紙や襖紙として採用しました。


南側中央にあった玄関を、アプローチに近い西側に移動しました。
積雪の多い地域のため、広い軒下ポーチにして、駐車場から車椅子でも上れるスロープも設けました。
外観のシンボルだった大屋根妻面の梁型を、暴風雨の際にも心配ない程度に残し、吹抜にした厨子二階の壁に採光用の窓を設けています。


玄関正面から中庭が見通せる腰高の窓。もともと鉄骨造の増築がされていた部分の中央を減築して中庭にしました。
中庭を挟んで奥が洗面・浴室の水回り、右側がメインの居間で、両面とも大きな開口部を設けて、中庭から採光と通風ができるようにしています。
玄関の床は大判のタイル貼り、壁は珪藻土塗仕上げ。


玄関側からダイニングと奥のキッチンを見ています。玄関からキッチンまでは床を低くした土間のような造りにしています。
この部分に蓄熱式の床暖房を設置しているので、夏場は土間のようなヒンヤリ感、冬場は床からの輻射熱で「寒くない」温熱環境をつくっています。
左側がリビングで、もともとあった厨子二階の部分を撤去して、天井の高い大空間になっています。


15帖ある居間。
もともと天井裏に隠れていた、大きな松丸太の梁が出現した、柱のない大空間になっています。
天井近辺には採光用の高窓を設け、左の中庭からの採光で、昼間は照明が必要ない程度の明るさを確保しています。
床は桧フローリング、壁は珪藻土と正面の赤い壁は和紙の壁紙。
右に見える階段は二階の納戸のためのもので、階段下も収納スペースになっています。


Ⅱ型のキッチン。2人から3人が動けるように広めの通路、左側が食器戸棚と食品庫、右側が調理カウンターです。
奥の扉が勝手口で、外に出ると蔵にも面した屋根付きのバックヤードと車庫からの通路があり、買物から帰宅してそのまま勝手口から荷物を入れられるようになっています。


仏壇のある奥座敷。
もともとは8畳でしたが6畳に詰めて、仏壇と床の間の美装改修を行いました。


手前が洗面室、奥が浴室です。
床は玄昌石貼りで温水パネル式床暖房、浴室の向こう側には小さな坪庭を設けて、通風と緑が楽しめるようになっています。
浴室の壁・天井は桧板張り。


もともと玄関があった場所のダイニングルーム。
前庭の向こう側、南側道路との高低差があるために、遠方の山まで見通せる気持ちのよい食事スペースになりました。


減築部分に設けた中庭。青竹で編んだ井戸蓋は、もともと床下に隠れていた井戸で、これを外に出す目的も兼ねた中庭になっています。
京都から若い庭師に来てもらい、二日間で仕上がりました。


夜景です。
切妻屋根の先端にある棟飾り瓦は「立浪」と言って、この地域に散見される独特のデザインです。
大海原を行く舟の舳先のような、勇壮なシルエットが、この場所のアイデンティティーとして、いつまでも残っていて欲しいと願っています。