• キッチンが中心の家 - Tさん

    出会い:2000年2月~3月

    ・戸建て希望(土地未定)で住宅メーカー/近隣工務店を巡るも、内容/価格面でピンと来るような所が無かった。

    ・住宅雑誌をみるようになり「建築家」という選択肢を見出す。

    ・早速ネットで近隣の設計事務所を探す。

    ・幾つかの事務所から、至近でホームページのハナミズキが印象的であった青井さんの事務所に相談依頼。

    ・思っていたよりも小さな事務所(スイマセン)という印象でしたが、これ迄の住宅メーカー/工務店での「売る人⇒買う人」という関係から、こちらの立場で動いてくれる、という印象で安心感と先が開けたという心持となり、相談して良かったと思ったことをよく憶えています。

    (事務所壁にかけてあったイタリア教会のデッサン?[ブルネレスキ?]も印象的でした。)

     

    土地探し:2000年4月~7月

    ・土地が未定でしたので、青井さんとお付き合いのある不動産会社からたまに土地情報をもらいながら土地探し。

    ・自身も独自で土地探しするも、青井さんの現地視察で2回ほどダメ出しされました…。

    ・その後ネットで程よい土地を見つけ、青井さんチェックもOKとなり、土地決定。

    ・価格交渉や手続き面で仲介者がいた方が良いという助言も受け、土地情報を提供してもらっていた不動産会社への仲介も手配してもらう。

    (もっと銀行からお金を借りられると高い物件を煽ってくる業者もいた中、非常に良心的な会社でした。結果、その後の銀行融資全般も仲介してもらうことに)

     

    設計のはじまり(どんな家にしたいか):2000年8月~2001年3月

    ・どんな家にしたいか、明確なイメージが無い状態からスタート。

    ・手始めに、ヒアリングシートに回答。

    <夫>明るい家がいい

    <妻>年数経過してもいい感じに古びてくれる家、収納の多い家(※1)

    (※1)収納の多い家:

    多ければ多いほど物は増えるので、家を新たにするこの機に暮らし方を変えることが重要、と青井さん談・・・現時点でも行うは難しです…

    ・青井さんが手掛けた住宅の見学会/建設中の現場にも参加してイメージを膨らませる。

    ・これらの参加で、壁は漆喰がいい/床材はやはり無垢で/この工務店さんにお願いしたい、といった要望が固まる。

    ・その他、住宅雑誌やメーカーショールーム等を見て回り(時には青井さんも帯同)、キッチンやその他部材の自分達の要望を徐々に固め、3か月に1回程度の打ち合わせでそれらを設計に組み込んでいった。

    (*この時期のあれこれと考える事や打ち合わせは非常に楽しかった。)

    ・<楽しさから一変:設計(見積)⇔予算現実との葛藤>

    -潤沢な予算では無かったので、要望を盛り込んだ設計(見積)と予算との差を調整することは正直つらい面もありましたね。

    -結局、木材をより低価なもの(サワラ⇒スギ)に代えたり床暖房を止めたり、等の部材のコストダウンをはかる一方で、多少の予算アップという形もとって、工務店さんと契約。

     

    着工~竣工:2001年4月~2001年8月

    ・近隣への挨拶/地鎮祭/上棟式など初めての事ばかりで、青井さん/知り合い/雑誌など言われるがまま/聞きかじったままで諸々対応。

    (上棟式)

    先輩トビさんが要領の悪い後輩の頭を、ヘルメット超しながら大きな木槌で叩いていたシーンが印象的…、多分大丈夫なんでしょうけどね…

    ・日々の建設中、休憩時の差入れで妻が足しげく通う。職人さんはおしゃべりな人が多い印象で、毎日楽しく会話してました。

    (棟梁をはじめ大工さん等は秋田県出身、雪が降る土地の職人から見ると、我が家(千葉県)あたりの職人は手が遅ぇ~、と歓談)

    ・夫は土曜日しか職人さんとは顔を合わせられなかったが、毎日夜に散歩がてら現場に通うことが楽しみであった。

    (タイルが搬入されている/今日はここ迄進んでいる、という進行を毎日実感)

    ・建設中で起きた一番大きな問題は、資金繰りでした。

    工務店さんへの中間金支払が足りず(銀行融資は竣工後)、この点ご迷惑をお掛けする結果となりお詫びするにあたり青井さんにも帯同してもらいましたね。

    ・その他、「浴槽の向きが注文と違う」「近隣の一軒からTVの映りがが悪くなったという苦情」等の細かい事項はありましたが、大きな問題はなく進んでいました。

    ただ夏場でしたので、暑さという点では皆さん大変だったようです。

    (特に塗装屋さん:内部塗装は外部を締め切る必要があり、真夏の蒸し風呂状態で汗だく・・・本当にお疲れ様でした)

    ・また、青井さんと職人さん達の間では、時にプロ同士の厳しい応酬があったとは感じていましたよ。

    ・最後に青井さんデザイン/棟梁作の大きな木製ベッドを搬入して完成となりました。

    (ベッドの他、リビングの大デーブル/洗面所/食器棚等もオリジナル、既製品よりいいです)

    ・総じて、建設中も楽しい日々で、完成した後にはお祭りの後の寂しさ的なものがありました。

     

    居後:多少のリフォーム

    ・隣の空き地(畑)が宅地化されて家が建つことになり、2Fテラスに目隠し用壁の設置を青井さんに依頼。

    ただ壁を取り付けるだけでなく、2Fテラス全体をより植栽豊かになるようにハンキング可能な木製壁も取り付ける提案ももらいました。

    2Fリビングから見える緑が多くなり、Goodでした。(※我が家は1Fが寝室、リビングやキッチンが2Fのスタイル)

    ・10年目で外壁塗り替え。同時に2F天井のクロスを木製に修繕。床の無垢材と相まって木に覆われる空間が増えて落ち着きます。

    ・1F和室の天井/壁の和紙をクロスに張替え(押入襖も含めて)また2Fテラスの床材を、テラコッタタイルから木製デッキに変更。

    ・その他、ガス窯/食洗器/ガスコンロを取り換え、(電化製品:10年寿命)

     

    最後に

    完成して既に16年経ちました。16年の間、この家で暮らす人間にも変化(母との同居介護)があり、家の周辺環境も変化があります。

    もし同じ土地で新しく家を建てるとしても、今の家と同じものにはなりません。今の家が不満という訳ではなく愛着にも変わりはありませんが、自身の興味/置かれている環境/家に期待する点など、建てた30歳代と今ではきっと違うものを求めると思うからです。

    これから家を建てる方々への助言としては、この先の変化を見据えた設計や柔軟性のある設計(=余り奇をてらわないもの)であることをお勧め致します。

  • アジアンリゾートの家 - Oさん

    「建築家さんと家を建てたい」そのきっかけ

    建築家さんと家を建てたい、そう思い始めたきっかけは小学生の頃に見たテレビの建物探訪番組だったかもしれません。

    その後にはじまったリフォーム番組やその他マイホーム建築番組では住み手の夢や希望がたくさん詰まった家が数多く紹介され、それを実現させていく建築家さんも何やら楽しそうでいつも心を動かされていました。

    そして番組最後に公開される費用を見て、もしかして実現できるかも?という淡い期待を抱くようになっていました。

    パートナーとなってくれる建築家さんを探す

    いざマイホームを考えることになり主人と一緒に我が家を建ててくれる建築家さんを探しはじめました。まだ新婚、主人32歳、私27歳のときでした。

    主にホームページでこれまでの作品、コンセプトなどを見ながら、私たちの一番の希望である「ずっと一生住みやすい家」を提案していただけそうな建築家さんを探し、まず会いに行ったのが青井さんでした。

    青井さんに依頼を決める

    ヒアリングシートをもとに設計をしていただき、主人も私も納得。青井さんにお願いすることに決めました。なので私たちが実際に足を運んだ建築家さんは青井さんだけです。珍しいパターンかもしれませんね。

    設計・施工

    打ち合わせは毎回楽しく1つのものを完成させていくおもしろさを実感しました。一番感動した瞬間はやはり模型が完成したときですかね。嬉しい!愛おしい!そんな気持ちだったと思います。設計期間は半年程度だったかと思いますが、とにかく1つ1つ丁寧に水栓金具から家具に至るまで相談しながら決めていくのがとても幸せで貴重な時間でした。

    施工に入ってからは工務店との間に入って細かい調整をしていただきスムーズな流れを作っていただきました。主人は会社帰りに現場に足を運び進捗を確認するのが日課になっていたように思い出します。

    新居完成

    いざ完成して家の中に入ってみると想像していた以上に開放的で、それでいて落ち着ける空間がそこにありました。

    主人がこだわっていたお風呂から見える坪庭、青井さんもこだわってくれて本当にありそうなアジアンリゾートな雰囲気がなんとも言えず、私も思わずニンマリしてしまったのを覚えています。実はお手入れもとても楽で、今でも雰囲気はそのまま維持できています。

    外観にこだわりはありませんでしたが、洗濯物が外から見えないように配慮していただいていたり、キャンティレバーの構造だったり、青井さんのおかげでご近所さんからは「あのおしゃれな家」と言っていただけることが多いです。

    現在の暮らし

    家を建てた当時は家族は主人と私の2人でしたが、今では2人の子供に恵まれ家族4人賑やかに暮らしています。

    子供たちは娘が7歳、息子が4歳。新築当時と比べてすっきり片付いていることも少ないですし、無垢の床材の傷、珪藻土の白壁の汚れ、階段の手すりの塗装の剥げ、造り付けキッチンの落書き等々、いろいろ変化があります。

    でもそれが私たち家族の歩みですし、嫌に感じることはないんです。今もとても居心地のいい空間です。なかなか時間が取れず手が付けられませんが、これからどうメンテナンスしていこうかということを考えるのも楽しみです。

    最後にお金のこと

    建築家さんと家を建てると決めたとき、一番大変だったのはお金のことだったかもしれません。

    私が幼いころにお金持ちしかできないんだろうなと思っていたのはある意味正解で、土地を購入する段階から融資してくれる銀行を探すのに苦労しました。今では金利も下がっていますが当時は金利も上がっていくのではとの予想から長期固定が主流でした。その後リーマンショックなどで状況が変わったのを踏まえ、借換えをしたり金利切替をしたりしながら住宅ローンとはお付き合いしています。

    一生モノだからこそ

    建築家さんと家を建てるということは建売住宅や大手注文住宅よりも少しお金はかかるでしょう。でも自分たちの住む家を信頼できる最高のパートナーとつくることができるという贅沢はよいものですよ。新しいとか古いとかそういう尺度では測れない住み心地のよさや愛着が出てくる一生モノの我が家と歩む人生。丁寧な家づくりはその後の人生を豊かにしてくれます。

    青井さんがそのよきパートナーとなってくれることは間違いありません。

    みなさんも素敵な家づくりを。

  • 越屋根のある家 - Kさん

    今住んでいるこの町に家を持ちたいという希望は私でした。(思わぬ転勤でこの地に移り住み、子育て時代で友達ができたことが理由です♪)土地に詳しいがために・・・ここは陽当たりがダメ!ちょっと不便!!となり、ここがいい!でも売り主がわからないので買えない。など某不動産会社とも色々ありました。(ねっ青井さん♪)
    決まりかけてドタキャンも・・・。そして、私たちの心を射止めたこの土地を取得するのにもちょっと難ありでした。(が、無事獲得♪)

    その2 [設計]

    土地が決まるとすぐに少しだけ思い描いた家とマッチする設計図ができてきました。(アンケートに答えていただけで・・♪青井さんは魔法使いか??)
    すると、次から次へと夢と希望は溢れ出て、あとは希望と予算のすり合わせです。(頑張れ夫!!)

    その3 [見積り]

    青井さんはこちらの条件をよく聞いてアドバイスしてくださいました。また、夫は祖父が大工だったこともあり、私にはわからない専門的なことを先生と楽しそうに話していました♪
    我孫子市のO建設の社長さんと現場監督になるY郎さんを紹介していただき、これが良縁でした♪(これ、とても大事ですよね!!)

    その4 [地鎮祭・基礎工事・上棟式~着工]

    地元神社の祭りの翌日(真夏)が地鎮祭でした。
    暑い中の基礎工事になり、ほんとうに毎日お疲れ様。という気持ちで一杯でした。実は、基礎工事開始から毎日現場に足を運んだ夫と私。
    (なんと住まいから50歩先に家を建てられるという幸せ者なので♪)
    上棟式の日は台風が近づく予報・・・朝から気をもみましたが、小雨なので決行~!幸いなことに無事に上棟でき、素敵な木遣り唄を聴くこともできました。
    夫は週末には何がどう進んだかな?と現場に入らせてもらい、大工さんと話していました。私は毎朝、誰が来ているのかな?と顔を見に通いました。(きっとご迷惑だったことでしょうね♪)
    現場に青井さんが来て壁紙やカーテンの種類や色を決めたり、ちょっとしたところを変更したりもできました。

    その5 [完成・家具選び]

    使っていた家具を持っていく方向で設計していただきましたが、買い足すものもあり、先生に相談すると「それはKさんの家のコンセプトに合わないですよ・・・!」とバッサリ言われて「そうか~?じゃあこれかな~!」と悩み選び、いま、本当に居心地、住み心地のよいMy home♪になっています。

    その6 [登記]

    家は建てただけではだめ、家の名義を登録しなければ完了しません。そして、それがとても大事でローン契約などにも繋がります。
    登記時期が年末になってしまい、司法書士のF先生にはかなり無理をお願いして登記できました。土地購入の時もお世話になりました。
    (専門家も家づくりのチームの一員です♪)

    その7 [植栽]

    庭のシンボルツリーはもちろん、玄関前の小さな庭と通りに面したところの樹木は青井さんに選んでいただきました。
    今では大きく育ち、新築当初と景色も変わりました。きっと青井さんには想定内のことだったと思います。
    庭は、手作りしたいという意向でその後頑張りました(夫が・・♪)
    何度も何度も悪戦苦闘しながら、今でも庭造りは改良中です。

    その8 [その後]

    住んでみてからわかることが多々あります。
    追加のブラインドを決める時にも、青井さんにアドバイスしていただきました。家具やカーテン、壁紙、植栽もトータルで『この家』なんですよねぇ~。生みの親ですから何でも相談できちゃいます♪
    家のイメージを考えてくださったのが青井さん、造ってくださったのがO建設の皆さん、住んでこの家を守るのが私たち家族だと思います♪(なので、みんなでチームです!)

    O建設の現場監督、Y郎さんとはとても仲良くさせていただきました。建築中はもちろん、今でも家族同士でお付き合いできる間柄です。不具合があると飛んできてくれます。
    頼れる方を紹介してくださった青井さんに感謝・感謝です♪

  • アスレチックの家 - Kさん

    青井さんとの出会いは17年ほど前になります。

    たしか最初に、どんな家にしたいですか?
    と聞かれ、私が、つらつらと自分の思いを述べてたら、
    青井さん、ずっと笑顔で聞いてくれたんですよ。

    予算がとても少なかったので、
    それまで訪ねた住宅展示場の方はたいてい、
    「何をいってるの?君にはそんな家たてられないよ。」
    みたいな顔をされました。

    だから、青井さんに会って、
    本当に建てられるかもって希望が持てたんです。

    青井さんに、設計をお願いして、
    本当に! 本当に!! 大正解です♪
    出会いに感謝です(^_^)

    じっくり話ながら、一つずつステップアップして、
    限られた予算の中で遊ぶところは遊んで、
    ちゃんと、話を聞いてくれて、それをとりこんでくれて、
    いえつくりがどんどん楽しくなりました~☆

    完成した我が家は、日の光が差し込む吹き抜けのリビングを中心に、
    間仕切りの少ないシンプルな空間になりました。当時の私には心なしか、よそよそしく、あまりに広すぎました。
    しかし、完成から16年経ち、家族は増えました。広く感じたフリースペースは子供たちのエリアへ様変わり、
    無垢のフローリングは飴色に変化し、
    子供たちが行き来するブリッジは恰好の遊び場となり、
    家族の息づかい、生活が見える家へと成長しました。人と人の関係が希薄になりがちな現代社会ですが、
    開放的で家族の顔が見える環境が、
    自然と会話したり、喧嘩したり、
    じゃれあったり・・・

    そんな家族の関係をつくり、
    コミュニケーションや対人関係の基盤を作るのかなと、近頃感じます。



    何よりうれしいのは、子供たちがこの家を好きでいてくれて、
    大きくなったらこの家みたいなおうちに住みたいと言ってくれる事です。
    自分だけの満足から、家族の満足へ、17年前には考えてもいなかった事です。今、やりたいことは庭のデッキ修繕と内壁の漆喰塗りです。
    当時、ジョリパットで塗った内壁がずいぶん汚れてしまったので、
    少しずつ塗り始めています。気が向いたときの作業なので、
    すべて塗り終えるまでおそらく何年もかかることでしょう。
    それもまた、楽しみの一つかなと、家族の成長とともに、
    家の成長も楽しみにゆっくりやっていきたいなと思います。